東日本大震災の日に想うこと
毎年、テレビで2011年3月に起きた東日本大震災の映像を見るたびに思い出す事があります。
それは、木下健一さんという一人の男性の事です。
実は木下さんの事を文章で書かせて頂くのは初めての事です。
木下さんとのあかりの繋がりは4年以上前に遡ります。
当時、ならコープの職員をされておられた木下さんは退職され、その頃日本に未曾有の大震災が
起こり、木下さんはならコープさんの有志のボランティアリーダーとして被害が大きかった
南三陸町へ行かれたそうです。そしてあまりにも悲惨な現実を目の当たりにしてもっと何か自分
に出来る事はないかと強く思われたそうです。そこからは精力的に奈良と東北を何度も何度も
行き来され、私達と初めてお会いしたのもちょうどその頃だったと思います。
家も家族も仕事も無くされた特にご年配の方々が、何もしない何もできない毎日を過ごして
おられるので何でもいいから慰めになるような手仕事や趣味になるような事はないかと模索され
ハギレなどを使って手芸をしたら楽しいのではないかという事から生地を探しておられ”あかり”
と繋がったのです。
私達も、以前から障害者支援のグループの方や高齢者の施設の方々、時には自閉症の子供たちを
支援するNPOの方が遠く静岡からも当店の着物の生地を取りにこられ、それらが多くの方に役立つ
事を知っておりましたのでその時ももちろん喜んで東北へ提供させて頂き少しでもお役に立てて
良かったと思いました。
それから木下さんは、最初は南三陸町、しず川小学校仮設とどんどん行動範囲を広げていかれ
今まで漁師の奥さんで網を編んでおられたおばあさんができる事がなんであるか行く所行く所で
常にアンテナを張り巡らせ、色んな情報をご自身の足で集めておられたと思います。
最初は慰めの為に始めた物作りが、やがて自立していく為の仕事作りへと変化していく中
あかりにも何度か足を運ばれ、どういう商品が売れるか教えて欲しいと来られたのを昨日の事の
ように思い出します。
でも、私達もいつも思いますが作ったものを商品として売るのは本当に難しいです。
アイデアがあっても形にするには技術もいるし、売れる商品を作るにはそう簡単な事ではありません。
そんな中、木下さんはご自身のポケットマネーで手芸の本を何冊も買っては東北へ行かれ、私達が
店で売っている手作りバッグを参考の為にと写真を撮られたり、一生懸命ご自身でできる事をされて
おられたと思います。 私が知っている木下さんはほんの一部ですが、本当はもっとその活動は多岐
に渡っておられ多くの苦しんでいる方々を励まし、慰めておられたと思います。
私自身あまりパソコンが得意ではなく、もうおばさんですからFACEBOOKもよくわからないし
木下さんから友達申請が来た時もどうすればいいのかわからずお会いしたときに
”ごめんなさい、良く分からなくて・・” と伝えた時にニコッと笑って ”いいですよ 気にしなくて・・”
と仰って下さって(´▽`) ホッとしたことがありました。
今から3か月ほど前に久々に自分のFACEBOOKを見た時に(名前だけのFACEBOOKですが)
友達承認待ちの木下さんを何気なくクリックしたら、木下さんが急に亡くなられたと書いてあり
(それも今から1年半も前に)本当にショックでした。
そういえば、木下さんがプツッとお見えにならなくなりお忙しいのかなと勝手に思い込んでいました
が多くの方に頼りにされ、慕われたおられた様子がFACEBOOKに書かれているのを見て本当に悲しく
私も遅くなりましたが心よりご冥福をお祈りいたしました。
私にはとても木下さんのような行動をとることは不可能ですが、これからも常に人と関わり、
同じ時代を生きる人間同士助け合えるような場所の一つが ”あかり”であれば嬉しいなと願って
います。
それは、木下健一さんという一人の男性の事です。
実は木下さんの事を文章で書かせて頂くのは初めての事です。
木下さんとのあかりの繋がりは4年以上前に遡ります。
当時、ならコープの職員をされておられた木下さんは退職され、その頃日本に未曾有の大震災が
起こり、木下さんはならコープさんの有志のボランティアリーダーとして被害が大きかった
南三陸町へ行かれたそうです。そしてあまりにも悲惨な現実を目の当たりにしてもっと何か自分
に出来る事はないかと強く思われたそうです。そこからは精力的に奈良と東北を何度も何度も
行き来され、私達と初めてお会いしたのもちょうどその頃だったと思います。
家も家族も仕事も無くされた特にご年配の方々が、何もしない何もできない毎日を過ごして
おられるので何でもいいから慰めになるような手仕事や趣味になるような事はないかと模索され
ハギレなどを使って手芸をしたら楽しいのではないかという事から生地を探しておられ”あかり”
と繋がったのです。
私達も、以前から障害者支援のグループの方や高齢者の施設の方々、時には自閉症の子供たちを
支援するNPOの方が遠く静岡からも当店の着物の生地を取りにこられ、それらが多くの方に役立つ
事を知っておりましたのでその時ももちろん喜んで東北へ提供させて頂き少しでもお役に立てて
良かったと思いました。
それから木下さんは、最初は南三陸町、しず川小学校仮設とどんどん行動範囲を広げていかれ
今まで漁師の奥さんで網を編んでおられたおばあさんができる事がなんであるか行く所行く所で
常にアンテナを張り巡らせ、色んな情報をご自身の足で集めておられたと思います。
最初は慰めの為に始めた物作りが、やがて自立していく為の仕事作りへと変化していく中
あかりにも何度か足を運ばれ、どういう商品が売れるか教えて欲しいと来られたのを昨日の事の
ように思い出します。
でも、私達もいつも思いますが作ったものを商品として売るのは本当に難しいです。
アイデアがあっても形にするには技術もいるし、売れる商品を作るにはそう簡単な事ではありません。
そんな中、木下さんはご自身のポケットマネーで手芸の本を何冊も買っては東北へ行かれ、私達が
店で売っている手作りバッグを参考の為にと写真を撮られたり、一生懸命ご自身でできる事をされて
おられたと思います。 私が知っている木下さんはほんの一部ですが、本当はもっとその活動は多岐
に渡っておられ多くの苦しんでいる方々を励まし、慰めておられたと思います。
私自身あまりパソコンが得意ではなく、もうおばさんですからFACEBOOKもよくわからないし
木下さんから友達申請が来た時もどうすればいいのかわからずお会いしたときに
”ごめんなさい、良く分からなくて・・” と伝えた時にニコッと笑って ”いいですよ 気にしなくて・・”
と仰って下さって(´▽`) ホッとしたことがありました。
今から3か月ほど前に久々に自分のFACEBOOKを見た時に(名前だけのFACEBOOKですが)
友達承認待ちの木下さんを何気なくクリックしたら、木下さんが急に亡くなられたと書いてあり
(それも今から1年半も前に)本当にショックでした。
そういえば、木下さんがプツッとお見えにならなくなりお忙しいのかなと勝手に思い込んでいました
が多くの方に頼りにされ、慕われたおられた様子がFACEBOOKに書かれているのを見て本当に悲しく
私も遅くなりましたが心よりご冥福をお祈りいたしました。
私にはとても木下さんのような行動をとることは不可能ですが、これからも常に人と関わり、
同じ時代を生きる人間同士助け合えるような場所の一つが ”あかり”であれば嬉しいなと願って
います。
- 2016.03.12 Saturday
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- 01:58
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- by あかり